戦争体験者が減っていく中で「もの」のもつ意味が大きくなる、戦争ミュージアムに足を運んだ記録である、著者は梯久美子、北海道大学文学部卒業後編集者を経て文筆業に、著書「散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗田忠道」他
概要
大久野島毒ガス資料館ー毒ガス製造と使用の知られざる歴史、地図から消された島、危険な施設は地方に、毒ガス兵器を使用した日本軍、廃棄処理の難しさ、予科練平和記念館ー大空に憧れた少年たちの特攻、予科練出身者の戦死率は八割、厳しい訓練と高度な座学、人も飛行機も唯消耗品なのです、飛行機にさえ乗れずに死んでいった若者たち、戦没画学生慰霊美術館・無言館ー残された絵が語りかける青春の美術館、画家を夢見た戦没学生たち、妹を描いて出征・23歳で戦病死、妻が50年間自室に飾っていた絵、未完の絵が語るもの、周南市回天記念館ー若者を兵器として扱った人間魚雷の実態、魚雷と人間が一体となった兵器、完成を急ぎ事故が多発、コックピットを精巧にに再現、戦死者の平均年齢は20.9歳、海岸に残る訓練基地跡、コラム・戦跡を訪ねてー土地は歴史を記憶する、太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島、民間人の悲劇が起きたサイパン島、地上戦で20万人の命が失われた沖縄、地上の国境線があった島・サハリン、対馬丸記念館ー子どもたちを乗せて沈んだ疎開船の悲劇、いまだに確定できない死者の数、竣工30年の老朽貨物船、53年後に発見された対馬丸、国策の犠牲となった子どもたち、象山地下壕(松代大本営地下壕)ー本土決戦に備えて掘られた巨大な地下壕、総延長10キロの巨大な地下壕、過酷な労働を強いられた朝鮮人労働者、天皇と三種の神器、地下壕の公開を実現させた高校生たち、東京大空襲・戦災資料センター記録することで記憶をつなぎとめる、被災地図の上の死者たち、焼夷弾を持ち上げてみる、無数の3月10日・死者と生者の声、弔詞、八重山平和記念館ー知られざる戦争マラリアの実相を後世に残す、戦争マラリアとは何か、軍命によって有病地へ、避難小屋での暮らし、軍はマラリア罹患の危険性を知っていた原爆の図丸木美術館ー絵の前に立ち・死者からの問を受け止める、丸木スマが描いたピカの時、原爆の図のために建てられた美術館、絵を通して人が出会う場所、長崎原爆資料館ーいまこそ学ぶべき核兵器の惨禍、偶然が左右した運命、失われた遺構のレプリカ、ファットマンの実寸大模型、絵巻物「崎陽のあらし」のメッセージ、稚内市樺太記念館ー戦争で手に入れた領土で起きたこと、世界でも類を見ない巨大防波堤、日露戦争の勝利で手に入れた領土、日本の近現代史の縮図、引揚船で稚内港へ、一般市民を巻き込んだ地上戦、満蒙開拓平和記念館ー国策がもたらした8万の死、満蒙開拓団とは何か、悲惨をきわめた逃避行、被害と加害が絡み合った複雑さ、当事者の壮絶な体験を聴く、国策に従った果てに、舞鶴引揚記念館ーシベリア抑留の帰還者を迎えた街、シベリア抑留の一次資料を収蔵展示、最後の引揚港・舞鶴、記録性の高い資料の数々、帰還を待ち続けた人々、都立第五福竜丸展示館ー市民が守った被ばく漁船を展示、死の灰を浴びたマグロ漁船、沈めてよいか・第五福竜丸、市民の力で船体を保存、模型船を造り続けた元船員、コラム・インターネット上の戦争アーカイブー学びを深めるためのサイト、中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター、NHK戦争証言アーカイブ、アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館、戦争ミュージアムについて知りたい方におススメ、
感想
戦争ミュージアムに足を運ぶことで、人々の体験と出会い、深く学ぶことができる、