レビュー・戦争と音楽

音楽における動員と和解の二面性を一身で体現した人物京極高鋭の物語、「愛国行進曲」の企画・制作・宣伝に携わる、著者は古川隆久日本大学教授、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了、著書「皇紀・万博・オリンピック」他

概要

昭和天皇のお相手、1洋学から洋楽へ、洋学者加藤弘之の孫、父は小児科医で侍医、華族と貴族院、芸術・文化の香り豊かな加藤家、2迪宮の御相手となる、御相手の人選、御相手という仕事、雪遊び華族は皇室の藩屛、1学習院という学校、学習院幼稚園から初等科、華族は皇室の藩屛、乃木希典院長の訓示、2活動写真と戦争ごっこ、仲の良い家族、怪盗ジゴマブーム、機械に夢中、軍人を志す、邦語部と柔道部、もうあんな人は永久に出ないのではなかろうか、昭和天皇と学習院、クラシック音楽との出会い、1白樺派の影響、音楽も図版や写真から、学生オーケストラの歴史、2学習院音楽部、音楽部演奏会、音楽部の創部事情、鋭五のリーダーシップ、バリトン歌手として、3ミッシア・エルマン聞き逃すまじ、エルマンとシューマン=ハインク、音楽の師、4大学生活、東京帝大経済学部進学、一週間だけ京大生、音楽ジャーナリストになる、1新聞記者、ロッパの活躍、2欧米音楽旅行、一年半の大旅行、たくさんの音楽家と会見、雑誌「ディスク」、3メニューインもフルトヴェングラーもー会見、最初は演奏評から、名指揮者フルトヴェングラーとの会見、ウッドとRシュトラウス、著作権問題・結婚、1洋楽の普及発達のために、著作権の歴史、プラーゲ問題、日本ク戦時体制ラシック音楽の演奏水準、レコードコンサートの問題、著作権法の改正、2結婚と襲爵、結婚に至る経緯、結婚当時の鋭五の心境、愛国行進曲のプロデューサー、1歌詞と曲の懸賞募集、情報委員会はじまり嘱託、愛国歌を作ろう、戦時体制の始まり、2国民歌の決定まで、歌詞の募集規定と審査員、鋭五の意図、歌詞の決定、歌詞への批判が噴出、作曲の募集規定と審査員、一等当選は瀬戸口藤吉、3普及徹底の方針と大ヒット、楽譜・ラジオ・映画・演劇、 各レコード会社が一斉に、100万枚を超える大ヒット、賛歌もいろいろ戦時下の需要の開拓、4愛馬進軍歌、街で小僧も口笛で、明朗な公的歌謡と暗さを持った流行歌、軍歌撰定普及業、補「緑の表紙」、貴族院議員になる、貴族院子爵議員の選挙制度、鋭五のの場合、貴族院入りの動機、議会デビュー、2紀元は2600年ー軍歌撰定普及業、国民歌「紀元2600年」と「嗚呼北白川宮殿下」、奉祝楽曲演奏会、大政翼賛の唄、国策歌謡政策の手法を披露、3音楽新体制、音楽新体制と日本音楽文化協会、太平洋戦争へ、戦時下の音楽はどうあるべきか、1南方音楽政策、諸団体の活動、京極にとっての太平洋戦争と音楽、貴族院での質疑、南方音楽政策の具体例、2厚生音楽運動、巡回演奏会、京極の音楽観、音楽界の生き残りのために、3被災と敗戦、東京大空襲後の貴族院特別員会で、被災と疎開、動員と和解、戦後の音楽界で、1山田耕作の戦争責任、近衛文麿と近衛秀麿、文化政策問答、公職追放に該当せず、2華族の身分を失って、音楽ジャーナリスト業の再開、日本光頭クラブ、学校教育に携わる3メニューイン・シゲティらの招聘、メニューイン来日公演に関わる、シゲティもパックハウスも、ロッパの死、スポーツと音楽死去そして大団円、1国際スポーツ大会への関与、重量挙げと京極、JOC委員となる、ユニバーシアードに関与、2晩年、引退、死去、京極の生涯を描く、

感想

側面支援の立場で事績を積み重ねた生涯であった、戦争は動員に傾いたが、基本は音楽による和解であった、

まとめ

昭和天皇の御相手、華族は皇室の藩屏、クラシック音楽との出会い、音楽ジャーナリストになる、著作権問題・結婚、愛国行進曲のプロデューサー、貴族院議員になる、戦時下の音楽はどうあるべきか、戦後の音楽界で、スポーツと音楽、そして大団円を考察、愛国行進曲や戦時下の南方音楽政策では動員に傾いたが、京極の基本は音楽による和解であった、サポート役の生涯を描く、

ゆに

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