関東大震災がつくった東京

本書の目的は関東大震災への疑問をこれまでの調査研究をベースに解き明かすことにある、著者は武村雅之、東北大学大学院博士課程修了、鹿島建設を経て現在は名古屋大学減災連携研究センター特任教授、専門は地震学

国家存亡の機だった関東大震災

1わかっていなかった震源と揺れの強さ、埋もれていた地震記録の発見・岐阜測候所、マグニチュードと震度分布を確定、首都直下地震である余震の頻発、2東京市の75%の人々が被災、阪神淡路大震災や東日本大震災との比較、火災発生状況と避難者の動き、東京郊外での避難者受け入れ、滝野川求療所、全国に散らばった罹災者

江戸・東京の歴史と地震災害

1拡大を続けた市街地と災害の記録、明暦3年の江戸大火まで、本所の湿地を開拓、江戸御府内から東京市15区へ、市の拡大と東京都23区の成立、災害の歴史を伝える慰霊碑、2元禄・安政の大震災との比較、元禄地震はM8・安政江戸地震はM7、被害を左右した江東地域の市街地化、真冬の夜中と初秋の正午・小田原、兆候が見える安政江戸地震、関東大震災の被害を招いた最大の原因、木造住宅密集地

都心を生まれ変わらせた帝都復興事業

1井上清と永田秀次郎、両国の慰霊堂、被覆廠跡の惨劇と井上清、東京市長・永田秀次郎、市民諸君に告ぐ・区画整備、2帝都復興事業の始まり、後藤新平と復興計画、予算削減の理由、陰の立役者・井上準之助、3土地区画整理と道路、国と東京市の連携、区画整理のやり方、同潤会アパートの起源、地下鉄建設も予測した街路設計、東京の大動脈となった昭和通と大正通、4寺院の郊外移転、区画整理への強制編入、郊外での再建を目指して、移転寺院の今

首都にふさわしい街づくりの模索

1帝都復興事業の性格、名著「帝都復興史」、帝都復興に関する証書、堀切善次郎の総論、ビーアド博士の進言、2橋梁設計と美観、大量死の反省に立って、人助け橋‣新大橋、プラス「美観」、③復興橋梁の現状、江戸の大川・隅田川、人工の渓流・神田川、都心を彩る日本橋川、4公園建設に懸けた思い、ロンドン・パリに近づきたい、世界に誇れる隅田公園、地域のシンボル52復興小公園、品格を伝える復興小学校、5市場と電車、築地市場の完成と流通の近代化、東洋初の地下鉄道、市街高架線と郊外電車、

現在なぜ首都直下地震に怯えなければならないのか

1地盤沈下と江東ゼロメートル地帯の形成、江東地域の水害と対策の歴史、地盤沈下の始まりと進行‣工業化、最悪の公害が生まれた経緯・地下水、科学技術だけでは災害は防げない・、防災文化、2郊外各区に生まれた木造住宅密集地域、戦後復興失敗までの経緯・衣食住の確保優先、帝都復興事業を受け継いだ名古屋市との対比、地震危険度マップに見る負の遺産、3始まりは高速道路による水辺破壊、イベント便乗型開発の問題、日本橋に青空を、外濠川を埋めた東京、高速道路、楓川・築地川を干上がらせた都心環状線、4関東大震災から100年目の東京、建築基準法の制定と超高層ビルの建設、耐震性だけで危険度を決めてはいけない超高層ビル、到達目標が見えない戦後の東京、今こそ関東大震災の復興に学べ、

まとめ

関東大震災は土地区画整理と道路をつくり、寺院を郊外へ移転、橋を架け、鉄道・公園建設したが、経済と技術の進展で公的空間や機能は次々と破壊された、今こそ関東大震災の復興に学ぶべきである

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