聖なるものを撮る

本書は宗教学者と写真家がコラボレーションしてそれぞれの立場から対象とどう向き合っているのかを執筆したもの、タイトルの「聖なるもの」は神社や神殿といった聖地、教祖や宗教者、祭りなど儀式参加者などを含めた広い意味で使用している、編者は①港千尋、写真家・著述家・多摩美術大学美術学部教授、②平藤喜久子、神話学者、國學院大學神道文化学部教授、

聖なる風景

1神話の風景ー平藤喜久子、神話的空間と風景のすきまを考える、黄泉の国から光の世界へ、アポロンの聖地・デルフォイ、オイディプスの風景、ギリシャから出雲へーつながる神話の風景、天童法師と日光感精型神話ー光の行方、2観光のまなざしのなかの近代の聖地ールルドを中心に、宗教者科学者・山中弘、メッカのカーヴァ神殿で自撮りが流行、神域と写真撮影の禁止、なぜ・聖なるものと写真撮影の相性は悪いのか、近代的聖地ルルドの誕生と奇跡のスペクタクル、3天皇陵を巡る歴史の旅ー写真家・伊奈英次、王朝の最高権威、大河ドラマと天皇、天皇陵への関心、「聖なるもの」に触れた罪と罰、陸墓の景観、4「アイヌの地」ー「アイヌーモーシリ」(無主地)を撮ること、写真家・露口啓二、「地名」について、漢字表記で見えなくなったもの、「自然史」について、アイヌの地を撮ること、21世紀に写真でできることはあるか、5不可視の場所・反転する世界ーアーティスト・シェレンバウム・ゾエ、ウベア島訪問、不可視の場所、父が撮ったウベア島の写真発見、イメージ反転加工、精霊の世界、6写真家と研究者で・失敗写真を考える①ー港千尋・平藤喜久子、「撮れる」と思うアマチュア・「撮れない」と思うプロ、ステンドグラスはコントラスト強めに、角度をつけて立体的に、

聖なる人

1聖なる像のトライアル―港千尋、写真が問う・聖なる人のイメージ、動きながら見ること、繰り返し見ること、聖なるトライアル、2秘教家たちの肖像ー宗教学者・深澤英隆、秘教主義とは、神智学者たち、①シェリング・哲学者、②ブラヴァッツキー・秘教主義、③シュタイナー・東方の星教団、④ボイス・緑の党、おわりに・ロラン・バルト・写真論、3「教祖」と写真ー宗教社会学者・弓山達也、教祖を写実しない天理教、見えない教祖の見える化、聖なるものは伝えられるか、情報化の中で教祖をどう描くか、4格闘する人ー人間を超えた存在に向かって、写真家・甲斐啓二郎、撮れてしまった写真、裸という恐怖、ありのままの世界、5あたため戯れるーザールの儀礼を撮る、映像人類学者・川瀬慈、揺さぶり起こす、楽師アズマリの役割、勇者セイフチャンガル、ザールの醍醐味、「解題」エチオピアのザール、6写真家と研究者で・失敗写真を考える②ー港千尋・平藤喜久子、ストロボを上手に使いこなして祭りを撮る、空気感を表現するためには・カメラの機能をよく知るべき、祈りを撮るには近い距離で、

先人たちのまなざし

1柳田国男と/民俗学と「写真」ー方法論の不在について、民俗学者・飯倉義之、「民俗学」と写真―研究法としての写真、「民俗」と写真ー被写体としての民俗、民俗学における「写真」方法論の不在、「真」と「常」とのすれ違い、2折口信夫と写真ー「実感」を記録し・伝える、民俗学者・川嶋麗華、はじめに、民俗探訪と「実感」、民俗写真とメディアの影響、折口信夫の旅と写真、折口信夫が残した写真とまなざし・新野の雪まつり、3小泉八雲の写真ー歴史資料としての価値を見すえて、民俗学者・小泉凡、小泉八雲という人、隻眼から写真好きへ、自叙伝的草稿「写真の話」、カリブ海のマルティニークの写真、未来における写真の意義、4岡本太郎のまなざし、ー聖なるものへの挑戦、キュレーター・大杉浩司、「太郎の写真」の原点、四次元との対話ー古代人の神聖・縄文土器、なまはげー面の神聖・秋田、御嶽ー透明な神聖・沖縄、チャンスンー風の神聖・韓国の風習、5写真家と研究者で・失敗写真を考える、③ー港千尋・平藤喜久子、スマホにできること・カメラにしかできないこと、失敗の中から独自の視点を見つける、研究と写真に通じる者、

まとめ

聖なる風景、聖なる人、先人たちのまなざしで構成、共創と対話がもたらす成果を追求したもの、

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