熊楠を案内役とし、雑誌・辞書・辞典といったシステム・インフラを扱いながら、イギリスと日本の学問世界をアマチュア学者の視点から探る、著者は志村真幸、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程後期課程単位取得退学、慶応義塾大学文学部准教授、南方熊楠顕彰会理事、著書「日本犬の研究」他
概要
イギリス)ダーウィンー学問は大学だけのものにらず、もっとも有名な科学者、なぜダーウイン働かずにすんだのか、医者ではない道へ、大学教授という身分、ロンドンに出る選択、ロイヤル・ソサエティと大学以外の研究機関・教育機関、熊楠とダーウイン、大英博物館のマルクスたちー独学の場所と方法、ロンドンで漱石を教えたクレイグ先生、マルクスという人物、共産主義の父の職業と収入、大英博物館のリーディング・ルーム、続書する空間、筆写するマルクス、リーディング・ルームの仲間たちー熊楠・孫文・クロポトキン、リーディング・ルームを懐かしむ熊楠、ネイチャーとN&Q―成果と発表を繋ぐネットワーク、研究発表の場としての「ネイチャー」、熊楠の東洋の星座、「ノーツ・アンド・クエリ―ズ」創刊、質疑応答で埋め尽くされた紙面、投稿者たち、郵便制度の恩恵、ダーウインの書簡、マレーと「オクスフォード英語大辞典」―知識の集積と活用、OEDこと「オクスフォード英語大辞典」、アマチュア言語学者マレー、ヴォランティア・リーダーたち、「N&Q」から「OED」へ、「エンサイクロペディア・ブリタニカ」、「OED」かとら見えてくるもの、アマチュアたちの協力の理由、日本)牧野富太郎と植物学ー官と民の狭間に立つ学問、牧野による熊楠への追悼文「日本の植物学の父」の軌跡、牧野は「民」なのか、南方熊楠というアマチュア植物学者、二人の淡い交流、官と民のあいだで、柳田国男と民俗学ー組織化の先に、日本民俗学の父と母、国家官僚から研究者へ、柳田と民俗学の始まり、初期の著作、人的ネットワークの形成、柳田と熊楠の出会い、柳田はなぜ熊楠に頼ったのか、「N&Q]と「郷土研究」、一国民俗学へ、官を離れた意味と目的、民としての柳田、福来友吉と超能力研究ーアカデミズムの外側でも大学ではできない学問、千里眼研究、念写、欧米の心霊科学、東大をを離れたのちの福来と「変態心理」、高野山大学への再就職、福来の国際的活躍、熊楠の「千里眼」、福来と熊楠の共演、妖怪研究大学を追われた学者たち、平瀬作五郎の苦闘と業績、三田村鳶魚と江戸学ー最後は孤独なアマチュア、殿様生物学と徳川頼倫、江戸学の租,鳶魚の出自と大隈重信襲撃、新聞人として、「日本及び日本人」と、熊楠と鳶魚の出会い、誌上での交わり、在野の知識人たちをつないだ「輪講」、鳶魚の晩年と死、アマチュア学者たちの行方理想的すぎたか、日本の大学の特殊性、留学が日本の大学に与えた影響、官学のアマチュアへの恩恵、在野と独学の近代について知りたい方におススメ、
感想
ダーウイン・マルクスから南方熊楠・牧野富太郎まで独学で在野の学者たちの活躍の記録と知的インフラについても触れる、
まとめ
イギリス)ダーウイン、大英博物館のマルクスたち、「ネイチャー」と「N&Q」、柳田久仁を邦夫マレーと「オクスフォード英語大辞典」、日本)牧野富太郎と植物学、柳田国男と民俗学、福来友吉と超能力研究、三田村鳶魚と江戸学を考察、在野の学者たちの独学の方法と場所について追及、学問のあり方を問う、