本書は芥川側龍之介の「ぼんやりとした不安」の視点から近代日本を考察したものである、著者は浜崎洋介、文芸評論家、雑誌「表現者「クライテリオン」編集員、日本大学芸術学部非常勤講師、東京工業大学大学院社会理工学研究科博士課程修了、
明治の精神はどう終わっていったのか
1なぜ今日本近代精神史なのか、2近代化の進展と武士道の後退、3日清戦争と資本主義恐慌、4煩悶青年とその時代―藤村操と高山樗牛、5日露戦争の勝利と時代閉塞、6明治の精神の終わりー乃木将軍殉死と森鴎外、7武士道を忘れた日本人、ラフカディオ・ハーンの近代日本批判、
教養主義はなぜ無力だったのか(大正1)
1第一次世界大戦と「三太郎の日記」-教養主義を支えたもの、2「三太郎の日記」の語る教養、3「桃色の室」と米騒動ー大正教養主義の限界、4鴎外が語った型の喪失、5山縣有朋の死と近代日本機能不全、6梶井基次郎「檸檬」ー教養主義の向こうへ、ブルジョア的成功者とマスメディアの発達、
大衆社会は何をもたらしたのか(大正2)
1政党政治と揺らぐ<正統性=レジティマシ―>、2関東大震災と流言飛語,3殺風景なモダン都市東京へ、4バラバラになった「主観ー新感覚派の実験、5マルクス主義という名の宗教、6社会運動急進化の二つの理由、7中野重治と芥川龍之介ーその時代の転換点で
ぼんやりとした不安が導いたもの(昭和1)
1芥川龍之介の死とマルクス主義・そして小林秀雄の登場、2昭和恐慌という「非合理性の打撃」、満州事変と維新のテロリズム、4プロレタリア運動の崩壊と日本浪漫派、5萩原朔太郎の「日本への回帰」、6「猫町」としての日本近代、7文明開化の論理の終焉、
肥大化する空気と自己喪失(昭和2)
1天皇機関説事件と国体明微声明、2 2・26事件を導いた「空気」、3機関でも主権でもない天皇制へ、4近衛文麿のモダン性と復古性、5ポピュリズムと日中戦争、6日中戦争に対する疲れと疑問、後づけの「東亜協同体論」、
日本近代とは何だったのか
1大東亜戦争開戦前夜の動き、2欧米という「本当の敵」に向かい合えたことの爽快感、3東亜百年戦争という視点ー林房雄「大東亜戦争肯定論」、4近代日本人の「適応異常」、5優越感と劣等感のあいだで、6のバブルと冷戦構造の崩壊がもたらした「新しい非合理性の打撃」、7自分で自分が道をつけ・進み得たという自覚を、
まとめ
明治の精神はどう終わっていったのか、教養主義はなぜ無力だったのか、大衆社会は何をもたらしたのか、ぼんやりとした不安が導いたもの、肥大化する空気と自己喪失、日本近代とは何だったのかで構成、明治までは保たれていた個人の強さが・近代化が進めば進むほどに弱くなり、一挙に崩れていったのか考察したもの