マゼラン船団

2021年はマゼラン船団フィリピン到達500周年、マゼランはフィリピンで殺害され、地球周航を果たしたのは船団の生き残り組だった、本書はマゼラン船団の航跡をたどりながらヨーロッパ勢力の到達は、この地にどんなインパクトを与え・いかに展開されたかを考察したものである、著者は大野拓司、元朝日新聞記者、社会部を経てマニラ・ナイロビ・シドニー各支局長、現在はジャーナリスト、ニューヨークタイムズ配信記事から訳出・朝日新聞デジタルに「ニューヨークタイムズ世界の話題」として連載、

マゼランはフィリピンで何を見たのか

1笑顔と恐怖が交差する出会い、ものの道理のわかる人たち、陽気でおしゃべり・大酒飲み、船腹から大砲を一斉に発射、2西回りでめざせ「香料諸島」、東回りでポルトガルが先陣を切る、マゼランの野心とスペイン王室、欲したスパイスはなかった、3多国籍チームとバスク人、海外進出ブームに沸く、お土産もどっさり積み込む、海の民は進取の気性、

待望の岬から大海原への挑戦

ーマゼラン海峡を越えて

1大河ラプラタに踏み入る、主役はカラック船、部族の長「カシーク」、願望や誤解にもとずく命名、2船団が抱えた「反目の芽」が表面化、長身の民族との鉢合わせ、引き返すべきか・前進か、マゼランが見た地図の謎、執念と霊験が「出口」へと導く、3穏やかな海ですさまじい飢餓、西北西から北西に舵を切る、どうしたのか「ありあまるほど」の海の幸、誤解が招いた悲劇、

バランガイ社会の人々と暮らし

ーマゼランとセブの「王」フマボンとの血盟

1セブのラジャと結んだ「血盟」の契り、入港する船は税を納めよ、量も確かな友情の印、「宿務」は交易ビジネスのハブ、2洗礼800人が8000万人超に、最初のミサが行われた日、トップダウンの集団改宗、マゼランクロスは万病に効く、3点在する自給自足型の自然村、人々は昔・海からやって来た、濃厚な人間関係が集団の絆、膨らんだり・縮んだり・移ったり、4衣食住そしてトイレ、エコでサステイナブルな高床式、会食を重ねて関係を深める、床下空間の有効活用、人間世界は四つの要素で色分けできる、

歴史に足跡を刻む

―マゼランの死とエルカーノによる世界一周

1「アウェー」対「ホーム」の戦い、援軍の申し出を断って出撃、「インディオ」と呼ばれた諸島民、ラプラプをもっと讃えよう、2初の世界周航の栄誉はエルカーノに、殺し・殺され・奪い・奪われ、日付のズレに気づく、生還者は少なくとも35人、カレイの炭火焼が有名、3膨らむ「奴隷のエンリケ」像、出身地はどこか、事件後・消息は途絶えた、「家具のおまけ」がバリクバヤン、4民族の誇りを掘り起こせ、「穏やかで・つつましい民」、基層に息づく伝統文化、しっかりしていて強かった、5「ジパング」はフィリピン?海外の史資料を読み込む、航海記にも随所に産金情報、見直されるㇳライバル・タトゥー、

マゼラン後の展開

ーガレオン貿易とグローバル化

1順風をつかめ・海流に乗れ、想像の域をはるかに超えた広さ、ついに開けたウルダネタ・ルート、北半球では時計回りの流れ、2ガレオン船航路は「絹の道」「銀の道」、北上するイスラームの波を押し戻す、中継貿易は250年続いた、グローバル化の嚆矢、3ヒト・モノ・文化が行き交う、サツマイモやタバコが来た道、「マニラメン」とラフカディオ・ハーン、メキシコ少年がワクチンを運ぶ、4ラス・イスラス・フェリペナス、「東方諸島」は「西方諸島」だった、フェリペ皇子の島々、無敵ではなかった「無敵艦隊」、5「フィリピーノ」の誕生、地位と権力を「観える化」する町づくり、カトリックを横刺しに長屋を建てる、「本社覇権組」と「現地採用組」のミソ、

マニラと中国人社会・日比関係の源流

1交易の結節都市は「東洋のコスモポリタン」、80万人規模を想定した街づくり、城壁に囲まれた特権社会、2中国人を警戒しながら共存共栄を図る、9世紀前後の貿易陶磁器が出土、現存する「世界最古」のチャイナタウン、3「国家」に翻弄される日比間の交流、貿易振興がジレンマを生む、キリスト教と領土支配の野望、ガレオン貿易への参入狙う、「南洋」の日本人町、

大航海時代とマゼラン・そしてアジアのその後

1実利で受容・ポジティブリストで対応、ザビエルはメガネも持ってきた、新教国オランダとの邂逅、鎖国が自給自足を促す、②パンデミックが大航海時代への道を開いた、どこにも怪物はいなかった、ルネサンスから対抗宗教改革へ、三つの大洋がつながる、3アジアの豊かさに引き寄せられる、鄭和の南海大遠征、商船一隻はラクダ2000頭に四敵、東洋の物品には特別の魅力、毛細血管を大動脈が飲み込む、4歴史の見直しを迫る動きのなかで、折れたマゼラン記念碑、マゼラン後の地球一周、「大発見時代」と「大航海時代」、

まとめ

マゼランはフィリピンで何を見たか、待望の岬から大海原への挑戦、バランガイ社会の人々と暮らし、歴史に足跡を刻む、マゼラン後の展開、マニラと中国人社会・日比関係の源流、大航海時代とマゼラン・その後で構成、本書の下になったものはマニラで発行の「日刊まにら新聞」に執筆した記事である、

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