本書は、天武天皇の生涯/皇親政治/律令制度について語る、著者は寺西貞弘、関西大学博士後期課程満期退学、文学博士、元和歌山市立博物館館長、
生涯
①天武天皇の前半生
1両親と兄弟姉妹、大海人皇子はいつ生まれたか、天智と天武は10歳差、2天智朝における立場の変遷、婚姻の背後にある天智天皇の思惑、百済遠征の失敗、懐柔策としての官位改正、天智天皇即位と大海の皇子の立太子、疑心暗鬼に満ちた共冶体制、3天武天皇と大友皇子、天智天皇病に伴う大海人皇子の動き、大友皇子の出自とその動向、大友の皇子はなぜ太政大臣に任官されたか、「儲君」をめぐる大海人の皇子の思惑、不改常典とはなにか、4壬申の乱緒戦の軍事動員、空位における政情不安と吉野方の軍事動員、近江方の軍事動員と尾張国司の苦悩、私的紐帯による勝利と官僚機構の脆弱性
②天武天皇の時代
1天武天皇前半の時代、后妃子女列記記事と即位礼、功臣の褒賞、官位改正と律令制における厳しい態度、祭祀と税制、官僚への飴と鞭、2天武天皇後半の時代、菟野皇女の立場の大きな変化、仏教関連の政策、律令選定・記紀編纂・造都、族姓への配慮と唐風化への強い意志、細部にわたる命令と天皇の崩御、3天武天皇の殯宮儀式と大津皇子事件、殯宮儀礼の経緯、僧尼の深い悲しみ、大津皇子事件をめぐる人々、行心に対する極めて峻厳な処分、
皇親政治
③天武朝の皇親たち
1天武天皇の后紀と皇子、后妃子女列記記事をめぐって、后妃および子女について、2菟野皇女の立后、吉野の盟約を契機として、皇室全体の母としての菟野皇女、後宮の整備と権威の巨大化、3天武朝の皇子たち、皇子たちの生年と叙位の時期、忍壁皇子の生年、磯城皇子・芝基皇子の生年、4天武朝の諸王たち、小柴位と諸王位、美濃王の活躍ぶり、皇親と臣下の境界線をさまよう端境人として、5皇親概念の確立、王と名乗る者の状況、皇親と臣下のボーダーライン、八色の姓の制定、皇親の概念の明確化、
④天武朝政治の担い手たち
1公卿大夫、政治に携わる皇親たち、臨時の官もしくは地方派遣官として、大豪族たちの待遇、2高市皇子の政治参加、壬申の乱における高市皇子の動き、高市皇子の拝朝、皇親の扱われ方の変化、3草壁の皇子と大津皇子、ふたりの皇子はなぜ別行動をとったのか、公卿に列せられなかった草壁皇子、大津皇子の類まれな資質、4大津皇子「朝政を聴く」、大津皇子の政治的立場とは、慣例となった二十一歳で政治参加、
⑤皇親政治の本質
1天武天皇一四年の概要、日本固有の倫理観の重視、皇親と臣下の対応関係、2天武天皇一四年皇親冠位の方向性、持統天皇による大幅な改正、正冠と直冠を峻別した意図とは、3皇子たちの居住地、皇親はいつから宮都に居住するようになったか、宮都近くに居住する意味、私有地に代わる経済基盤を求めて、冠位制と食封制度の関連性、4皇親序列化と天皇権力、皇親と豪族のパワーバランスの逆転、天皇予備軍としての皇親、5冠位による皇親序列化、知太政官事とは何か、皇位を諦めさせる手段として
律令制度の導入
⑥天武朝の政治組織
1天武期にみえる官司、持統天皇三年までの官司/省と官/官・職・寮の具体的職務内容、2天武朝の太政官組織、宮内官の重要性、弁官に冠された「大」とは、浄御原令による官司制度の大きな変化、3宮処の模索、都を複数つくろうとした天武天皇、藤原京遷都に至るまでの経緯、天武天皇が遷都を決意した時期、4地方組織、地方国の成立、筑紫大宰・吉備太宰とは何か、吉備国の分割・設置の時期、国司の支配領域の画定、支配領域をめぐる国司と国造の攻防、
⑦天武天皇と律令国家
1律令国家への胎動、律令国家への起点としての推古朝、大化改新詔の背景、有間皇子の謀反にみる租庸調税制、浄御原令制定までの経緯、2大宝令と浄御原令、浄御原令の歴史的位置づけ、行幸好きであった持統天皇、大宝令による天皇の権威の強大化、節目・行幸の扱いにおける両者の相違点、3浄御原令の内容、戸令の条文、考仕令の条文、浄御原令にみる官位相当性、4天武朝の律令的諸規定皇子らの努力による急速な法整備、天武朝における律令的な諸規定の集大成として、
⑧天武天皇と仏教政策
1天武紀にみえる仏教統制政策、仏教統制政策の時系列的な流れ、僧綱の任命、僧尼の生活についての細かい規定、2天武朝の仏教規定と僧尼令、数多くの禁止事項、巷間往来の作法と活動の制限、犯僧に対する刑罰について、3その他の推測できる統制令、外国寺条と外国の仏教、畿内・畿外における仏教事情、山林修行に対する厳しい規制、4天武朝の仏教諸規定と僧尼令の編目、、僧尼令の編目と対比して、仏教界に対する俗(偽政者)の警戒と対策、5天武朝の仏教政策の意義、焦眉の課題としての僧尼の管理、出家者が政界に跋扈することへの恐れ、
まとめ
天武天皇の生涯を概観、皇親政治、律令制度導入について課題を指摘、著者の天武天皇研究の集大成、