北京は黄河文明の辺境に位置、農耕と遊牧の境界に位置、本書は中華世界の拡大とともに辺境の地から中心地に飛躍した北京の歴史を描いたものである、著者は新宮学、東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、山形大学名誉教授、専攻は14~18世紀の中国近世史・中国都城史、
文明の辺境ー燕国
1のちに「北京」と呼ばれる地域空間、華北平原の最北端、北京秋天と酷暑の夏、文化の交差点としての境界性、名称の変遷、2薊城-都市「北京」の起源、中原の都市国家、伝説のなかの幽都、召公の封建、帝堯の後裔、燕都ー琉璃河古城遺跡、燕侯克の銘文、薊城の位置、陶井と墓葬、水に恵まれ・アザミ咲く地、琉璃河城から薊城へ、中原と東北方の境界、3戦国の七雄としての燕、魁より始めよー昭王の改革、南北長城の建設と明刀銭、太子丹の企て、刺客荊軻の登場、涵養の宮殿で、北蕃蛮夷の国、
東北の重鎮-幽州
1郡県と封建のゆらぎ、皇帝号の創始と郡県制の施行、治めにくく目の離せない地域、始皇帝の天下巡遊、万里の長城建設、陳勝呉広の乱、郡国制―漢初の燕国復活、燕の風土、みちのく幽州、2諸族融合の邯鄲、黄天まさに立つべし、幽州牧劉盧の登場、曹操の河北平定、五胡十六国の始まり、鮮卑慕容部の前燕、都市と村落、第一次民族融合の波、後漢以降の薊城の位置、3中原諸王朝の前進基地、隋の南北統一と高句麗、隋唐の高句麗遠征、煬帝の永済渠開鑿、北のターミナル都市幽州城、第二次民族融合の波、
諸族争奪の舞台
1早すぎた大燕皇帝の登場ー安史の乱、節度使安禄山の出自、多言語環境の混血児、三節度使を兼ねる、楊国忠との対立・そして挙兵、大燕皇帝即位、北京地区から見た安禄山、地気は東北へ、2燕雲十六州問題ー胡・漢最大の係争地、安史の乱後の幽州、大東帝国の滅亡と五代政権、契丹国家「遼」の建国、後唐治下の幽州と趙徳鈞、石敬瑭の反乱、契丹に二度も差し出された幽州、燕雲十六州割譲、第二次南北朝の始まり、3政治的中心地への道ー遼の「南京」、中原振るわず、在地住民からの視点、武将盧文進の軌跡、「南京」への昇格と五京制、二元統治体制、聖宗の大攻勢、澶淵の盟成る、盟約がもたらしたもの、遼南京の経済的繁栄と国際化、皇城前にはポロ競技場、遼代仏教盛行、
中都から大都へ
1宋朝に格下げされた「燕山府」の混乱、女真族の興起、英傑完顔阿骨打の金建国、海上の盟、金軍の燕京占領、燕山府と張角の悲劇、靖康の変ー徽宗と欽宗の北方拉致、金初の華北統治―傀儡政権の楚と斉、皇統の和議ー岳飛櫂、2金の海陵王と「中都」遷都、ーはじめての帝国首都、完顔亮のクデター、燕都遷都・そして中都と改称」、部落封建制から君主独裁制へ、燕京城の拡張工事、海陵王の中都遷都の意義、世宗擁立のクーデター、中都城遺跡と水関遺構、中都の皇城、大安遺址と瓊華島の離宮、マルコポーロも渡った盧溝橋、中都城下の住民構成、3クビライの「大都」建設、モンゴルの興起、貞祐の南遷、モンゴル軍の中都占拠、中都をカン・バリクに、クビライの燕京選択、瓊華島広寒殿の造営、皇帝の宮城とカアンの瀟墻、外城の規模と城門・瓮城、大都の平面プラン、都城プランの中心点、グリッド・プランの街路、遊牧地域と農耕地域をまたぐ両都巡幸制、城西の妙応寺白搭
華夷一統のために
1漢族王朝の再興と北京遷都、元末紅巾の乱、上都の陥落、朱元璋集団の登場、明朝の成立、徐達の大都占領、南北一体化の課題、「中都」建設、文武の二元統治、諸王封建と南京=京師体制、「南北戦闘」としての靖難の役、洪武政治の継承か改変か、永楽帝による遷都プロジェクト、①第一段階―南北両京体制の施行、②第二段階ー造営工事の開始と第一次巡幸、③第三段階ー第二次巡幸と西宮建設、④第四段階ー宮城建設と最後の巡幸、2北京定都と嘉靖帝の都城改造、落雷による三殿焼失、南京遷都の決定、北京定都、土木の変と于謙の北京防衛、奪門の変とその後の于謙、外藩からの即位と大礼の議、天壇の完成、嘉靖・万暦年間の三大殿再建、内城九門の改造、外城七門の建設、失われた城壁、3近世東アジアの百万都市、北京システムの完成、鄭和の南海遠征と朝貢体制、日明貿易と琉球王国、秀吉の北京遷都計画、紫禁城午門の日本人俘虜、百万都市北京、「世界人」マッテオ・リッチ、党学校のなかに眠るリッチ、
拡大された中華帝国
1明清交代、毛皮と人参、建州衛の設置とイシハの調査、ヌルハチの登場、八旗制の創始、遼東進出から盛京の造営へ、大元伝国の璽あらわる、大清国の成立、流賊李自成、北京城急襲、崇禎帝の最期、歓喜の声に迎えられた李自成軍、生粋の武人呉三桂、四十日天下、2非漢人政権にして中国の正統王朝、ゴルゴンが敷いたレール、周辺からのまなざし、直接に北京を訪れた日本人、順治北京遷都、薙髪令と衣冠の変更、ドルゴンの王宮、江南の抵抗と南明政権、三藩の乱と台湾進攻、内モンゴルの併合による盟旗制度の創説ドロン・ノール会盟、年班で賑わう京師、ダライラマとの関係、農耕世界と遊牧世界にまたがる一統の都、3タタール・シティとチャイニーズ・シティ、日本人が観察した天安門金水橋、内城と外城の住み分け、大規模な圏地、旗人の町と漢人の町、正陽門大街の賑わいと元明以来の商業地の変遷、会館の林立する外城、民衆娯楽地帯ー天橋、天橋の盛衰、宣南地区の土人たち、文化街琉璃廠の形成、内城で育まれた普通語、
皇帝の住まんくなった紫禁城ー外朝と内廷
通称で呼ばれる紫禁城、焼失と再建とをくり返す、清朝の再建工事、モンゴル元朝以来の皇城空間、天安門周辺の官庁街の整備、まずは外朝に入ってみよう、皇帝の権威を可視化する空間ー午門、外朝の正門ー太和門,朝政の場ー太和殿、中和殿と保和殿、さらに」進んで内廷へー乾清門、ヴェールを外した乾清宮、満州人の祭祀と道教ー坤寧宮・交泰殿、終のすみかの養心殿、2拡大された中華世界の三つの中心,西郊の離宮建設、「十全老人」の眼差し、満州人の古都―盛京瀋陽、チベット仏教の祝祭空間としての熱河行宮、あいまいとなる内外の区分、晩年の康熙帝の紫禁城不在、離宮でも政務に励んだ雍正帝、マカートニーの熱河行宮謁見、嘉慶帝狙われる、犯人は内務府で働いていた、天理教徒林清の事件、皇次子の活躍、事件の知らせが届く、紫禁城警護の緩み、3円明園炎上、アヘン戦争と南京条約、第二次アヘン戦争始まる、感豊帝の熱河退却、円明園の略奪、「祺祥」から「同治」へ、北京条約の締結、日清修好条規と副島種臣の皇帝謁見、日清戦争の勃発、頤和園の完成、西太后の還暦祝典と戊戌変法、百日維新の挫折、キリスト教の内地布教と義和団の台頭、列強の出兵、北京籠城、西太后の蒙塵、
廃墟からの再生
1北京最後の日、ピエール・ロチの北京滞在、はじめて訪れた北京の印象、廃墟また廃墟、天壇を訪れる、チャイニーズ・シティに溢れる活気、フランス軍戦勝祝賀会の夜会、タタール・シティの「最後」、北京議定書の締結、西太后の死、辛亥革命と宣統帝退位、南北和議の行方ー南京か北京か、袁世凱と二十一ヶ条要求の波紋、2天安門での建国セレモニー、天安門城楼の上と下で、蒋介石の肖像から毛沢東へ、中南海の政治協商会議、首都は北京に、首都が失われた時期、国民広場への改造、北向きに変えられたモニュメント、更新される肖像画、歴史に絡め取られた広場、習近平の一帯一路、
まとめ
文明の辺境、東北の重鎮、諸族争奪の舞台、中都から大都へ、華夷一統のために、拡大された中華帝国、皇帝の住まなくなった紫禁城、廃墟からの再生で構成、本書は著者が勤務した大学の一年生向けの講義録を基にしたものである、世界第二位となった中国、首都北京の地位も持続されよう、