ブルーノ・タウト

本書はドイツ、ソ連、日本、トルコと様々な文化を渡り歩いたタウトの人生を辿る、著者は北村昌史、京都大学大学院文学研究科博士後期課程退学、現在は大阪公立大学大学院文学研究科教授、主著は「ドイツ住宅改革運動―19世紀の都市化と市民社会」

修業時代

1故郷ケーニヒスベルク、タウトの生まれた時代、タウトの両親、タウト兄弟、2「遍歴」修業の開始、アルトナとヴィースバーデン、ブルーノ・メーリング、コリーン・サークル、3シュトウットガルトからベルリンへ、テアドーア・フィッツャー、結婚、独立に向けて、

第一次世界大戦まで

1タウト・ホフマン建築事務所、開業、開業当初の仕事、2第一次世界大戦前の「成功」、田園都市、ファルケンベルク、レフォルム、色彩建築の背景、表現主義、博覧会建築、3第一次世界大戦、総力戦、ユートピア著作群の構想、エリカ・ヴィッティヒ、

マクデブルク

1第一次世界大戦直後の状況、「ガラスの鎖」、「宇宙建築家」と「都市の解体」、二つの家族、2マクデブルクの都市建築顧問官、マクデブルク市長バイムス、彩色実験、MIAMA,展示ホール「農村と都市」、キオスクと未完の計画、3ベルリン復帰へ、「新しい住居」、都市建築顧問官退職、

モダニズム建築家としてのタウト

1建築家としての活動の再開、積極的な住宅建設の背景、建築家の群雄割拠、2ダーレヴィッツの自宅、「一住宅」、タウトのジードルング、3小規模なジードルング、アイヒヴァルデ、トレビーン、アイヒカンプ、4街の中心に近い集合住宅、ノイ・ケルン、シェーンランク通リ、5集合住宅による大規模ジードルング、シラーパルク、カール・レギ―ン、フリードリヒ・エールベルト・ジードルング、6馬蹄形ジードルング、馬蹄形の集合住宅、菱形のフーズンク、7森のジードルング、ジードルングの集大成、建設過程、嫌われたジードルング、屋根戦争、ヴァイセンホーフ・ジードルング、フィッシュタールのジードルング、屋根戦争の決着―平らな屋根、住民による祭り、屋根戦争の設計への影響、

モスクワ

1モスクワのタウト、世界恐慌、モスクワへ、2未完の計画、モスクワ労働組合劇場、ホテルの設計、集合住宅建設、3帰国・そして日本へ、帰国へ、ナチス政権、文化的ボルシェビキスト、国外脱出、

日本社会との出会い

1日本到着、上野伊三郎、下村正太郎、桂離宮、都おどりとの対比、関西の文化と建築家との接触、2東京、TO-TIO、日光東照宮、蔵田周忠、吉田鐵郎、葉山の久米の別荘、著書刊行の話と人間関係の苦労、3仙台の国立工芸指導所と伊勢神宮、祇園祭、夏の葉山滞在、国立工芸指導所の展覧会、工芸指導所の顧問、工芸の世界への接近、伊勢神宮、

仙台・大倉陶園

1仙台およびその周辺の見学、仙台到着、若い所員たちとの小旅行、仙台周辺の農村の探索、七木田村・仙台南郊の村、斎川村、平泉、盛岡、2国立工芸指導所での活動、工芸指導所顧問としての工芸品探求、「プログラム」、行き違い、退所へ、「質の問題」、わだかまり、3大倉陶園、大倉陶園顧問就任、顧問としての活動、井上房一郎、4日本文化論の成果、「ニッポン」・桂離宮再訪と「桂のアルバム」、日本文化との関わり、柳宗悦、東京帝国大学での講演、5生駒山上住宅地、大軌による依頼、設計の完了、不可解な結末、軍事演習、

高崎での生活

1高崎で置かれた環境、先心亭、自然環境、住職一家と教師たち、節分の豆まき、2浦野芳雄「ブルーノ・タウトの回想」、浦野芳雄、タウトの食事、生活面の行き違い、日本文化をめぐるすれ違い、3タウトの工芸指導を支える人たち、高崎の最初の頃、水原徳言、井上房一郎との関係、タウトの生計、4工芸品制作、工芸品制作の苦労、タウトの工芸品制作の方針、制作された作品、三ラテス、ミラテスの商品の評判、5著述活動と日本海側旅行、「日本文化私観」、Houses and People of Japan、日本海側旅行、白川郷、秋田、秋田再訪、下呂・新潟・鶴岡・弘前、旅行の修了、不快

日本との別れ

1日本における建築活動、有島生馬からの依頼、二軒の川崎邸、等々力ジードルング計画、大倉邸、2日向邸、日向利兵衛、宮大工佐々木嘉平、地下室、友人たちへのお披露目、評価、3体調の悪化、ぜんそくの悪化、浅間山の噴火、1935年9月24日から26日の台風、軍国主義の高まり、4離日へ、マルティーン・ヴァーグナーの手紙、京都府庁からの話、コロンビアからの打診、高崎での別れ、東京での別れ、京都・そして日本との別れ、5日本人やドイツ本国の人々との関係、日本人との関係、レーモンドとヴォ―リズ、本国に残した家族への思い、建築事務所設立記念日、本国の家族の置かれた状況、

トルコ

1タウトの置かれたトルコ社会、ドイツ時代のタウトの知り合い、モダニズム建築、住居、スタッフ、2トルコにおけるタウトの建築、言語・歴史・地理学校の校舎、トルコからの影響、日本からの影響、自邸、アタチュルクの棺台、3建築教育改革と教科書、建築教育の改革、教科書、急死

日本文化の中のタウト

1日本文化の再発見者、篠田英雄訳の問題、タウトの日記、2タウトが日本に残したもの、ライフラインの未整理、タウト批判、タウトと関わったモダニズム建築家、工芸、地方社会の中の亡命者タウト、

まとめ

修業時代、第一次世界大戦まで、マクデブルク、モダニズム建築家としてのタウト、モスクワ、日本社会との出会い、仙台・大倉陶園高崎での生活、日本との別れ、トルコ、日本文化の中のタウトで構成、近代ドイツにおける住宅問題からヴァイマル期のジードルング研究が日本・ソ連・トルコにおける活動に影響を与えた、

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