十字軍国家

本書は中世ヨーロッパの十字軍遠征によりできた十字軍国家を4つのカテゴリーに分け歴史を追ったものである(一回目のみ成功、後は失敗)、著者は櫻井康人、京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了、東北学院大学文学部史学科教授、専門は西洋中世史、

1ラテンシリア・第一回成功

ラテンシリアの誕生(1097ー1099)、アルメニア人の居住地へ、ボードゥアン・ド・ブーローニュとタンクレーディの対立、エダッサ伯国の成立、アンティオキア占領、アンティオキア侯国の誕生、エルサレムの征服、

ラテンシリアの形成(1098ー1118)、アンティオキア候一世の苦悩、ゴドフロワによる教会国家の建設、ボードゥアン一世のクーデター、沿岸部の制圧、アンティオキア侯国の摂政タンクレーディ、ボエモント一世の末路、エダッサ伯ボードゥアン二世の復活、トリポリ伯国の誕生、マウドゥ―ドの侵攻、血の平原の戦い、ボードゥアン一世の死、

ラテンシリアの成長(1118ー1146)、ボードゥアン二世のクーデター、ラテンシリアの宗主として、ボードゥアン二世の捕囚、ティール占領、ボードゥアン二世の帰還、ザンギ―の登場、ラテンシリアの君主たちの死、アンティオキア侯国の内紛、ザンギ―の帰還、ビザンツ帝国の侵攻、エダッサ伯国の滅亡

ラテンシリアの発展と分断(1146ー1192)、ダマスクスを巡る攻防、エデッサ伯国の完全消滅、エルサレム王国の内戦、アスカロンの占領(第一次)、ヤコブの浅瀬の戦い、キプロス侵攻、ビザンツ帝国との関係修復、ボードゥアン三世の死とアモーリーの即位、エジプト遠征へ、サレーフッディーンによるエジプト制圧、アモーリーとヌールッディーンの死、ボードゥアン四世の即位、ボードゥアン四世とサラーフッディーンの衝突、王党派とバロン派の対立の顕在化、ギー・ド・リュニジニャンの即位、ㇵッティーンの戦い、エルサレムの陥落、命拾いしたラテンシリア、

ラテンシリアの回復と再分断(1192ー1242)、アンリ・ド・シャンパーニュの即位、ボエモンド三世とレヴォン二世の対立、二つの王国の誕生とアンリの死、エメリー・ド・リュニジヤンの統治、アンティオキア候位継承戦、ジャン・ド・ブリエンヌの即位、レヴォンの勝利、第五回十字軍とボエモンド四世の復権、ボエモンド四世の報復、エルサレム国王フリ―ドリヒ二世、ヤッファ協定、ロンバルディア戦争の勃発、二つの十字軍、ロンバルディア戦争の終結とラテンシリアの再分断、

ラテンシリアの混乱と滅亡(1243ー1291)、エルサレムの再喪失、ラ・フォルビーの戦い、ボエモント五世の苦悩、ルイ九世の下での安定、聖サバス戦争の再燃、エドワード王太子の十字軍、ユーグ三世の失策、シャルル一世・ダンジューのエルサレム国王位購入、トリポリ内戦、キプロス国王の復権、トリポリ伯国の滅亡、アッコンの陥落、

2キプロス王国ー第三回失敗

キプロス王国の形成と発展(1191ー1369)、キプロス島の制圧、ギー・ド・リュジニャンによる島の再建、キプロス王国の成立、ロンバルディア戦争とキプロス王国の独立、二人のユーグの争い、産業と農民、教会、シャルル一世・ダンジューとの闘争とエルサレム王国の滅亡、アモーリー・ド・リュニジヤンのクーデター、経済的復興、ピエール一世と永続的十字軍特権、ピエール一世の暗殺と十字軍熱の冷却、ピエール一世のもう一つのもくろみ、

キプロス王国の混乱と消滅(1369ー1489)、報復の融合、ジェノヴァ軍のキプロス侵攻、キプロス国王ジャック一世、マムルーク朝の属国に、家庭問題、キプロス人の形成、シャルロット対ジャック、キプロス国王ジャック二世の結婚、ヴイネツィアへの譲渡、

ヴェネツィア領キプロス(1489ー1573)、統治構造、植民地化と暴動、宗主国マムルーク朝との関係、宗主国マムルーク朝の滅亡、第三次オスマン・ヴェネツィア戦争とキプロスの防衛強化、1570年の攻防、ヴェネツィア領キプロスの消滅、キプロス王のその後、

キリキヤのアルメニア王国(1197ー1375)、アルメニア人のキリキヤへの移動、ルーベン家の苦境、トロス二世の巻き返し、ムレーの謀反、兄ルーベン三世と弟レヴォン二世、アルメニア王国の誕生、アルメニア国王レヴォン一世、モンゴル皇帝の家臣に、バイバルスの脅威、キプロス王国との関係強化、瀕死のアルメニア王国、三人の国王の殺害、アルメニア王国の滅亡、

3ラテンギリシャ・第4回失敗

ラテン帝国(1204ー1261)、ラテン帝国の成立、ヴェネツィア領ギリシャ、教会組織の整備、ビザンツ系国家、トラキアの反乱とアドリアノ―プルの戦い、アンリ一世の即位、テサロニキの反乱、アンリ一世の死、ピエール・ド・クルトネーの即位、ロベール・ド・クルトネーの時代とテサロニキ王国の滅亡、イヴァン二世・アセンの野望とジャン・ド・ブリエンヌ、ボードゥアン二世・ド・クルトネーのヨーロッパ遊説、モンゴルの脅威と二度目のボードゥアン渡欧、ニカイア帝国の勢力拡大、ラテン帝国の滅亡、

フランク人支配下のモレア1(1204ー1311)、ペロポネソス半島の制圧とアカイア(モレア)侯国の誕生、その他の諸侯領、ジョフロワ一世とオトン一世、安定期の到来、内紛とぺラゴニアの戦い、アカイア侯国の内部状況、司教区、第二局面の入口、ヴィテルボ協約、アルバニアを巡る攻防、フローラン・ド・エノーの統治期、フィリップ・ド・サヴォワの廃位、ナポリ国王の直轄地として、カタル―ニア傭兵団の侵攻、

フランク人支配下のモレア2(1311ー1460)、ルイ・ド・ブルゴーニュとフェラン・デ・マヨルカ、マオ―・ド・エノーの運命、アンジュー家離れ、アッチャイオーリ家の登場、カトリーヌ・ド・ヴァロワのもたらした分断、オスマン朝の脅威、アッチャイオーリ家の台頭、ロベール・ド・タ―ラントの死と内紛、聖ヨハネ修道会への貸与とナバラ傭兵団の登場、聖ヨハネ修道会による購入、アメデ―・ド・サヴォワの介入、ネリオ一世、アッチャイオーリの死、アカイア候ペドロ・ボルド・デ・サンスペラーノの誕生、ビザンツ帝国の勢力拡大、最終局面、

カタル―ニア傭兵団とアッチャイオーリ家(1311ー1462)、カタル―ニア傭兵団によるアテネ公国占領、対カタル―ニア傭兵団の十字軍、ネオパトラス公国建国、ゴーティエ六世・ド・ブリエンヌ」の復権の試み、ドン・アルフォンソの息子たち、アテネ兼ネオパトラス公位および総代理人職の推移、ロヘル・デ・ルリアの謀反、カタル―ニア傭兵団の内部分裂、テーベの占領、アテネとネオパトラスの占拠、アテネ兼ネオパトラス公ネリオ一世・アッチャイオーリ、ヴェネツィア領アテネ公国、アントニオ・アッチャイオーリ―の公位簒奪、アテネ公国の終焉、

4騎士修道会国家ー第6・7回失敗

ドイツ騎士修道会国家(1225ー1561)、ヴェンド十字軍からリヴォニア十字軍へ、プロイセンへのドイツ騎士修道会の導入、リヴォニア帯剣騎士修道会の編入、1260年の大反乱と入植活動、マリエンブルクへの本部移転、タンネンベルクの戦い、13年戦争、ドイツ騎士修道会領プロイセンの消滅、騎士修道会のその後

ロドス期の聖ヨハネ修道会国家(1310ー1523)、ロドス等の獲得、基盤形成の模索、交易活動の開始と教皇庁の介入、大シネマの影響と「言語」による分裂、マムルーク朝との良好な関係、総長ジャン・ド・ラスティクの改革、第一次ロドス包囲戦、ジェムの亡命、マムルーク朝の滅亡、ロドス陥落

マルタ期の聖ヨハネ修道会国家(1523ー1798)、宗教改革と聖ヨハネ修道会、マルタ包囲戦、レパントの海戦、私掠船の活用、国際的な国家間協定と私掠船活動の抑制、フランス革命の影響、ナポレオンによるマルタ占領と十字軍の終焉、その後の聖ヨハネ修道会

まとめ

第一回のラテンシリア、第三回のキプロス、第四回のラテンギリシャ、第6・7回の騎士団国家で構成、最初のみ成功、後は失敗、結果として教権の権威低下、国王の権威上昇、騎士団が成立した、

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