環境社会学入門

本書は環境社会学の入門書である、敢えて教科書的スタイルをとらず、環境社会学の思考や問題意識をパーソナルな物語に示したもの、著者は長谷川公一、東京大学大学院社会学研究科博士課程取得退学、現在は尚絅学院大学大学院特任教授、専門は環境社会学、

社会学との出会い

湯川秀樹の伝記、祖父の近代ー名前の由来、1954年、「大きな楕円に」-父と母、県境の雪深い町で、「知的生産の技術」を読む、駒場での出会い、社会学こそ学問の王様だ、恩師吉田民人との出会い、高橋徹と富永健一・小室直樹、転機ー「五月祭」のお芝居、多土済々、舩橋晴俊・梶田孝道との出会い、「コンフリクトと社会変動」ー生涯のモティーフ、「社会学それ自体の内包的希薄化」-富永健一の憂い、

新幹線公害問題の衝撃

高速鉄道の世界的再評価、「日本列島の主軸」-交通・通信ネットワーク、新幹線の光と影、「生みの親」に責任はないのかー新幹線設計思想の致命的欠落、「社会問題研究会」、原子力船むつ、東北・上越新幹線建設反対運動、革新自治体ブームー首都圏内の地域開発格差と生活防衛、条件闘争への転換、名古屋新幹線公害、高速文明対「静かさ」の価値、環境問題研究の原点、自ら原告団長にー人生の点と点、新幹線こうがいもんだいのその後、リニア中央新幹線の環境問題、国内的評価に自足、

社会運動をどう説明するのか

1984年ー東北大学へ、文学部へ、資源動員論との出会い、公民権運動はなぜ成功したのか、バスボイコット運動の画期的勝利、共通の利益の自覚は人々を行動に駆り立てるのか、選択的誘引、気候ストライキはなぜ成功したのかー社会運動分析の三角形、フレーミング、未来のための金曜行動、資源動員、政治的機会構造、社会変革分析の三角形へ、NPO法の制定過程ー社会変革過程を説明する、

原発閉鎖とアメリカ市民社会

内向きの日本の社会学、在外研究ーカリフォルニア大学バークレー校へ、井の中の蛙、脱原発の「金鉱発見」、英語力不足を補うには、アポ取りの苦労、原発閉鎖と市民の力、1989年の分水嶺、何を守るか、政治的対立の解消・社会的合意の基礎、サクラメント電力公社の再生ー21世紀の電気事業者のモデル、「省電力は発電」、世界最初のグリーン電力制度、サクラメント電力公社の現在、北海道グリーンファンドとしみんふうしゃの誕生、

コンセンサスの向こう側

コンセントのもう一つの向かい側、トイレに失礼な「トイレなきマンション」六ケ所村と放射性廃棄物、六ケ所村との出会い、「巨大開発」から放射性廃棄物半島へ、構造的緊張の連鎖的転移、周回遅れのランナー、新青森駅の失敗、大間町・むつ市関根浜・東通村、再処理をめぐるジレンマ、核燃料サイクルはなぜ止まらないのか、青森県当局との信頼関係維持のための再処理、核武装の潜在能力を担保するー再処理の隠れた動機、仮に止めたとしたら、何が真の国益なのか、太平洋戦争末期の旧日本軍のようだ、六ケ所村の地域づくりー「普通」の東北の農村に、

環境社会学者の自覚

環境社会学会の発足、環境研究の「第一の波」と「第二の波」、「環境社会学の母」飯島伸子、宇井純と飯島伸子、被害構造論の先駆性、日本の環境社会学の独自性、相次ぐ出版企画、社会と環境システムとその外輪、ローカル・コモンズ、人新世ー新しい地質学的時代、環境社会学第一世代と第二世代、環境社会学と社会学、アイデンティティ・クライシスの危険アイデンティティのありかー対象・方法・価値関心、「ダウンストリームの社会学」としての環境社会学、廃棄物問題が提訴するもの、ダウンストリームとアップストリーム循環・統合を求めて、

持続可能な未来をつくる

2020年ー持続可能な未来への分岐点、「裸の王様」からの転換、
「持続可能性」という価値、レジエンスという第四の次元、SDGSの意義、研究目標・課題としての持続可能性、研究と運動のはざまで、日本の市民社会の限界、コラボレーション・市民社会と対話する「公共社会学」、社会学の特質、2020年生まれの子供たち、気候変動とコロナ禍の類似性、若者たちへ、1000年後の滝桜、

まとめ

社会学との出会い、新幹線公害問題の衝撃、社会運動をどう説明するのか、原発閉鎖とアメリカ市民社会、コンセントの向こう側ー青森県六ケ所村、環境社会学の自覚持続可能な未来をつくる、で構成、本書は東北大学教員としてのオンライン最終講義「持続可能な未来のために社会学的な対話を求めて」をもとに書き下ろしとして刊行されたものである、

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