レビュー・高橋是清

高橋是清の生涯を伝記として描く、日露戦争外債発行を詳述している、著者は鈴木俊夫、慶応義塾大学商学部卒業、ロンドン大学大学院博士課程修了、東北大学名誉教授、著書「金融恐慌とイギリス銀行業―ガーニイ商会の経営破綻」他、

概要

生い立ちから米国留学まで、1出生と家族、庶子として、生母北原きんと義妹香子、もう一人の義妹、2米国への道、大童信太夫の導き、薩摩藩の大規模留学生派遣計画、シャンドのボーイとして、是清を救った仙台藩の人脈、勝海舟「氷解塾」との繋がり、貪欲な悪徳商人、無知につけ込み利益を上げる、3米国へ出立、祖母からの短刀、船中の様子、身売りされた是清、ヴァン・リードの正体、米国での体験、放蕩生活から教育者へ、1帰国・森有礼との知遇、一大政変の渦中で、森有礼の支援、大学南校入学、藩主へのお目見え2森有礼、是清の森有礼評、吉田清成との確執、四面楚歌、暗殺、3放蕩時代、人生転落の契機、フルベッキの聖書、東屋桝吉、別れ、三留キミ、4唐津藩の英語学校・唐津赴任,借金返済、耐恒寮の再建、英語教育の実践、女子教育へのまなざし、曽禰達蔵と辰野金吾、自由奔放な生きざま、1破天荒な人生経験、大蔵省十等出仕、前島密との諍い、開成学校入学、末松謙澄との出会い、文部省入省と開成学校改革、マリの教育行政、フルベッキの晩年、ヘボンとの繋がり、2翻訳業への専念、投資の勧誘、マーシャル「勧業理財学」の翻訳、共立学校の再興と開成学校、学問の仕方、是清の悪癖仲買店開業、相場師廃業、専売特許所長就任、1農商務省入省、文部省御用掛から転出、ヘボンの辞書と知的財産権、特許制度の整備、2前田正名との出会い、熱烈な精神家、興業意見への協力、興業銀行設立安をめぐる論争、西郷柔道の明敏さ、欧米視察の旅、1仁農商務省書記官、串田万蔵と吉田鉄太郎、センチメンタル・ジャーニー、2特許制度の調査、米国における特許実務、倫敦赤毛布、パリ到着、後れをとる英国、ドイツの特許制度、加藤済と河島醇の確執、3商標条例・意匠条例・特許条例の発布、吉田清成への提言、シフとの不思議な縁、工業所有権保護へ、特ペルー許局の独立、降りかかる災難、1ペルー銀山事件、ペルー銀山への投資、好事魔多し、日秘鉱業株式会社の設立、ペルーへ出帆、暗転、はかなき一場の夢、2再起、帰国、資材を投げうって弁済、周囲の同情、外債発行の成功、1是清が果たした役割、日本銀行入行、役立った人脈、2外債発行のしくみ、外債発行の趨勢、マーチャントバンクの名声アンダーライチング方式の導入、金融機関とその業務、債権形態による海外投資、シティ内の利害関係、3外債発行実現に向けた是清の尽力、一つにこれ天祐成り、二人のユダヤ人シフとカッセル、シフの真意、、ベアリング商会と日本政府、英国政府の対応、4対日鉄道投資の試み、代理店の必要性、日本ビジネス情報事務所の開設、対日投資調査、投資に関する法律の整備、日本興業銀行への期待、1財政の第一人者として、日本銀行総裁就任、内外国策私見、護憲のために、2)1927年(昭和2年)の金融恐慌、続く取り付け騒ぎ、是清の妙策、銀行経営悪化の要因、金解禁と世界恐慌、5・15事件、高橋財政と2・26事件、1疲弊する経済、高橋以外には頼むものなし、ケインズ知らずのケインジアン、7度目の大蔵大臣、是清への批判、2軍部との対立、予算増額要求、不測の事態、2・26事件、襲撃の背景、英国が見た2・26事件、生来の楽天家、是清の楽天主義、シャンドとの交流、日本の銀行制度の父、シフとの交流、人々からの敬愛、家族への愛情、現代に通じる箴言、是清の生涯を知りたい方におススメ、

感想

ペルー投資失敗から日本銀行入行、外債発行、政界転身が充実した時期だったといえる、

まとめ

米国留学まで、放蕩生活から英語教師、専売特許所長、ペルー鉱山失敗、日銀入行、外債発行、政界転身、軍部と対立を考察、2・26事件に繋がる、

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