レビュー・宋美齢秘録

米国でドラゴンレディは蔣介石夫人・宋美齢と西太后、宋美齢の栄光と挫折、失意と追憶の日々を追った、著者は譚璐美、米国在住、慶応義塾大学文学部卒業、日中近現代史にまつわるノンフィクション作品を発表、著書「紫玲の見た夢」他、

概要

日中開戦直後の対米放送、対日戦争を望んでいなかった米国、全世界に放送された宋美齢演説、なぜ世界は黙認しているのか、米国人の心を揺さぶる悲痛な叫び、今も確認できる音声記録と新聞報道、日本の内閣情報部の極秘分析、日本を断罪した歴史的メッセージ、宗一族・家族の肖像、敬虔なクリスチャンの両親のもとで、二人の姉・靄齢と慶齢、父・耀如の数奇な人生、上海で「聖書印刷の宋」となるまで、宋楊如と孫文との出会い、ルーズベルト大統領に物申した靄齢、崇高な理想を備えた宋慶齢、慶齢に心奪われた孫文、靄齢と慶齢の結婚、恵まれた米国留学生活、姉から自立した小学校時代、ウェルズリー・カレッジ時代、中国人としての自覚と不安の中で、母国語も歴史も生活習慣も知らない現実、父の死と突然の見合い話、蒋介石との結婚、蒋介石の生い立ちと最初の結婚、二度目の来日で東京振武学校入学、革命成功の一報を受けて日本から逃亡帰国、四・一二クーデターと蒋介石の焦り、姉靄齢が仲介した蔣介石との出会い、二番目の妻が明かした離婚の経緯、結婚の申し込みは有馬温泉で、米誌タイムの表紙を飾った結婚式、理想の国を目指した「新生活運動」、国民政府は破綻寸前、宋子文・通貨改革と巨額蓄財、蒋介石が打ち出した「三つの国民教育」、宋美齢が牽引した新生活運動、キリスト教的事業がもたらした米国からの支援、西安事件で夫を救った宋美齢、宋美齢の婦女指導委員会、米国の母校に訴えた女性運動の現状、宋美齢と日本外交の宣伝戦、海外メディアで繰り返しアピール、日米衝突を回避した斎藤大使のラジオ謝罪、映像にも残された駐米大使、パリ会議で繰り広げられた日中激突、米大統領・国務長官に悼まれた死、外務省情報部から挙国一致の情報局へ、日中戦争の宣伝戦「思想戦展覧会」、ちぐはぐな日本と棲ざま辞意抗日戦、全米を魅了したファーストレディ、元米兵の義勇軍「フライング・タイガース、スティルウエル中将と十五億ドル借款、訪米のきっかけ病気治療、議会演説までの電報のやりとり、ハイドパークのルーズベルト邸にて、黒いチャイナドレスで臨んだ米国議会演説、全米で歓迎・ファンレターの山に圧倒、四巨頭からの失墜、米国実力者につながる「プロテスタント」という共通項、宋美齢の宗教観、タイム誌の創刊者も強力な後ろ盾に、対日・戦後処理を話あった四巨頭、蒋介石の不貞と宋美齢の怒り、国共内戦激化で財政は火の車、国家予算を食い物にした四大財閥、蒋介石の原爆開発計画、挫折の台湾時代、痛手となりきりのったルーズベルトの死、がかくして蒋介石は台湾に退去した、蒋介石を見捨てた「台湾不干渉声明」、米国への「別れの挨拶」・そして台湾へ、台湾での新居「土林官邸」、国務長官ダレスが模索した二つの中国、家族団欒の影で起きていた後継者問題、義弟・孔祥熙の死と後継者争い、台湾国連脱退とニクソンショック、蒋介石死す、失意と追憶の日々、幻となった宋家三姉妹の再会、東京ドーム三倍超の豪邸・マナーハウス、最晩年を過ごした豪邸での暮らしぶり、十一年ぶりの台湾に居場なく、一人きりの生活を支えた水墨画、専属裁縫師が縫い続けた最高級品、なぜお気に入りのドレスを捨てたのか、一族が眠る終焉の地、宋美齢の生涯を知りたい方におススメ、

感想

留学先アメリカに期待をかけ、蒋介石と共に中国復活を狙うが、結局アメリカに裏切られ、失意の日々を送った宋美齢、

まとめ

日中開戦直後の対米放送、宋一族「家族の消像」、恵まれた米国留学生活、蒋介石との結婚、理想の国を目指した新生活運動、宋美齢と日本外交の宣伝戦、全米を魅了したファーストレディ、四巨頭からの失遂、挫折の台湾時代、失意と追憶の日々を考察、宋美齢の失意の生涯を追う、

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